P’lus Nine実績

【法人名】 P’lus Nine株式会社
【代表者】 宮城’亮’ (ミヤギ タスク)
【所在地】 沖縄県沖縄市
【関連会社】 一般社団法人ツノスポーツコミッション(宮崎県都農町)
J2R株式会社 取締役(佐賀県佐賀市)
【支援組織】 2003: FC琉球(JFL2008年シーズンまで)
2008: 総合型スポーツクラブ サンビスカス沖縄(2018年まで)
2010: FC岐阜(J2リーグ2012シーズンまで)
2015: 沖縄県総合型地域スポーツクラブ連絡協議会代表(2018年まで)
2018: 都農町スポーツ産業検討委員会
2020: ヴェロスクロノス都農「旧J.FC MIYAZAKI」(2021年シーズンまで)
中城村ふるさと納税業務
2021: 一般社団法人日本脳性麻痺7人制サッカー協会副会長
2022: フラーゴラッド鹿児島「V3リーグ昇格」
ブリュー鹿島「旧リクシルFC」
【講師歴】 2006: 星槎国際高校沖縄学習センタースポーツコース講師
2007: SOLA沖縄専門学校スポーツ専攻科講師
2011: 岐阜経済大学 スポーツ経営学科 非常勤講師
【表彰】 2005: 沖縄市商店街活性化プロジェクトドリームショップグランプリグランプリ受賞。
2006: JFLベストサポーター賞受賞「FC琉球」
2010: JリーグJ1・J2全クラブ中ホームタウン活動No,1「FC岐阜」
2011: JリーグJ1・J2全クラブ中ホームタウン活動No,1「FC岐阜」
2012: JリーグJ1・J2全クラブ中ホームタウン活動No,1「FC岐阜」
2013: 台湾にて「東アジア国際サッカー大会」開催。沖縄チームも出場し優勝。
2020: 生涯スポーツ優良団体文部科学大臣表彰「サンビスカス沖縄」
2022: スポーツ庁 スポーツ・健康まちづくり優良自治体表彰「ツノ職育プロジェクト」
【スポーツ組織設立及び経営支援】 2003:大学在学中JリーグクラブFC琉球設立に参加。
2008:総合型クラブサンビスカス沖縄設立
2011:FC岐阜Jリーグクラブライセンス担当
2019:一般社団法人ツノスポーツコミッション設立
2020:J.FC MIYAZAKI都農町へホームタウン移設
ツノスポーツアカデミー開校(全寮制スポーツまちづくり高校)
つの職育プロジェクト立上げ
2022:フラーゴラッド鹿児島Vリーグ昇格
佐賀県鹿島市企業チームリクシルFCの市民クラブ化支援
鹿島市dスポーツコミッション設立支援
【大会合宿企画・誘致】 2004:FC琉球VSケツメイシ企画運営
2005:PLUS NINE CUP(一般参加フットサル・バスケ・バレー大会)
2006:沖縄県初のJFL開催・運営
琉球乃風(FC琉球)VS湘南乃風企画運営
2013:台中(台湾)にて「東アジア国際サッカー大会」開催
マンチェスターユナイテッドサッカースクールの日本・沖縄への誘致
2014:沖縄県東アジア国際サッカー大会を開催(台湾・マカオ・香港・韓国)
2015:日本トップアスリート育成支援キャンプ(沖縄県事業受託)
台湾U-15女子サッカー代表沖縄キャンプ誘致
2016:沖縄体感!がんじゅー交流キャンプ(沖縄県事業受託)
日本脳性麻痺7人制サッカー交流大会in沖縄開催
日本デフサッカー男女日本代表合宿誘致(沖縄県)
2017:総合型クラブネットワークアクション九州ブロック会議主催
2018:Jクラブ海外クラブの沖縄キャンプ誘致(上海申花、Vファーレン長崎)
全国総合型スポーツクラブ会議inおきなわ主催 (350名が県外から参加)
都農町U-12蹴-1CUP開催(韓国、大阪、愛知、熊本、沖縄、県内6チー ム)
2019:ハジ→LIVE&スポーツイベント
「それが大事」大事MANブラザーズLIVE &スポーツイベント
メガリュウRYUREX LIVE&スポーツイベント
2020:Jリーガー自主トレ支援事業(都農町)
J.FC MIYAZAKI都農町へホームタウン移設
2022:日本デフサッカー男子日本代表合宿誘致(都農町)
【集客】 2005:九州リーグFC琉球1試合2000名以上の集客及びボランティア100名を組織
2006:FC琉球JFL平均3000名以上集客
2010:FC岐阜クラブ初の1万人集客
2018:全国総合型スポーツクラブ会議inおきなわ主催 (350名が県外から参加)
2019:九州リーグJ.FC MIYAZAKI 人口1万人の町で1000名以上集客
2020: 人口1万人の都農町に約100名を移住させる。
【国際交流事業】 2007:ジャマイカモンテゴベイにて開催された音楽世界大会の視察
2008:ブラジルへサッカー留学生を派遣開始
2009:ブラジルサンパウロにて総合型スポーツクラブについて研究
2010:FC岐阜・台中市と協定を結び、台湾でのキャンプ実施、
2013:台中(台湾)にて「東アジア国際サッカー大会」開催
マンチェスターユナイテッドサッカースクールの日本・沖縄への誘致
2014:沖縄県東アジア国際サッカー大会を開催(台湾・マカオ・香港・韓国)
2015:台北駅にて沖縄物産展を開催(サッカースポンサー企業商品の展示販売)
2016:CONIFA主催ワールドフットボールカップinアブハジア視察大統領と面談
:O-40国際交流サッカー大会inマカオ引率
2018:中国サッカークラブ上海申花の合宿誘致
北京にてサッカー指導者・関係者向けセミナー実施
全国総合型スポーツクラブ会議inおきなわ主催 (350名が県外から参加)
2019:パシフィック・リムカップ(ハワイ)視察
2020:シンガポールにて日本物産PR事業を実施
サッカーブラジル人選手・コーチの日本クラブへの受け入れ。
【自治体事業】 2005:沖縄市ドリームショップグランプリ
2010:岐阜県スポーツを楽しむ子どもを育てよう推進事業
2011:岐阜県スポーツを楽しむ子どもを育てよう推進事業
2012:岐阜県地域密着型プロスポーツにぎわい創出事業
2014:沖縄県スポーツ関連産業振興
「沖縄県産フルーツの特徴を活かしたスポーツケアゼリーの開発」
2015:沖縄県スポーツ関連産業振興戦略推進事業
「日本トップアスリート育成・支援キャンプ」
沖縄県産業振興公社「中小企業課題解決 プロジェクト推進事業」
「台湾ドラッグストアーの店舗販売と現地健康 イベントを活用した、
マーケティングによる台湾 ドラッグストアー向け沖縄健康食品の開発」
2019:総務省 地域おこし協力隊 2名採用
2020:総務省 地域おこし協力隊30名採用

 

P’lus Nine名称の由来

宮城亮(みやぎたすく)のたす「+」く「9」で、「P’lus Nine」(プラスナイン)。簡単な理由だけど、実は設立から15年経ち、はじめてこの様にHPで正式に書いた。

今までは下の様な後付けの由来を書いてた。


「P’lus Nine」は、沖縄のコザという街で生まれたプロジェクトである。
「+」(プラス)は、プラス思考・ポジティブを表し、沖縄県の中心にあるコザのゴヤ十字路も表す。そこは、日本の国道である330号線と米軍基地へと続くゲート通りが交わる十字路で、日本の文化とアメリカや多数の国の文化が交じり合う、チャンプルー文化沖縄コザを象徴する場所である。

「9」(ナイン)は、数字の一桁の中で一番大きな数字で、これからの広がり、無限を表す。また、琉球が古来から親交が深かった中国では9は縁起の良いい数字とされていた。

また沖縄にあるグスク(城)5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)9つの歴史的建造物が合わせて1つの「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。

この様なことから、「+」「9」それぞれの前向きなメッセージを発信し、+(合わさって)9が1つの世界に誇るものになるという考え方から、沖縄から世界へ平和や楽しさの発信をするプロジェクトの総称として名付けられ始まった。


当時は、自分の名前をブランド名にする!なんてとても恥ずかしくてできなかった。自信もなかったし、失敗したらどうしよう?そんなことを考えていたんだろう。

では、なぜこの名称にしたのか?

それは、起業するときに一番お世話になったデザイナーの崎浜さんがキッカケだ。この方との出会いは、今のFC琉球のエンブレム作成を依頼したことから始まる。その後、私はクラブを離れ、新しい挑戦をどうやって進めていけばいいのか迷っていた。

突然ある居酒屋に呼ばれて行ってみると、二人でお酒を飲むことに。そして、「タスクの新しいブランドの名前が決まったよ!」と言ってきたのだ。そして見せてくれたパネルに、この様にロゴが描かれていたのだ。

※実は、当時「P’lus Nine」は「PLUS NINE」だった。株式会社設立時に変更

「プラスナインですか?どういう意味ですか?」と私が訪ねると、「たすくだからプラスナイン!」と崎浜さん。「・・・(笑)」実は、最初この理由を聞いた時とっても恥ずかしかったんです。でも、崎浜さんのお前はこれでやれる!という強い後押しで「P’lus Nine」としてスタートを切ることにした。

そんなことから、上に書いたような後付けの理由を付けたのだ。でも、15年以上一緒にやってきたこの名称、今は本当に愛着がある。今回、この実話をお話したのは、もっとありのままの自分を出したい!という気持ちになったからだ。

そして、今は自らの名前がブランド名なのも何の違和感もない。

それは、崎浜さんをはじめとする、多くの仲間の協力のおかげで、様々な事業を手掛けてきて、その実績を振り返ると改めて宮城亮ではなく「P’lus Nine」としての実績があるからだ。そしてこれからもっとP’lus Nineとして成長させて行きたいと思うからである。

今まで世界中で行ってきた事業に共通するのは、「スポーツ」と「地方創生」だった。

沖縄が・・・とか、世界遺産が・・・とかに囚われず、その土地その土地の地域課題を、スポーツを使って解決していきたいと思う。

【プラスナインは、P’lus Nine株式会社の登録商標です。】