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2005年9月19日がPLUSNINE+9設立の日ということになっている。

実は、これは沖縄市コザのパークアベニューに「イベントスタジオ+9」をオープンさせた日なのである。

なのでアパレルを売り始めたのは実はもう少し前、その年の5〜6月頃だったと思う。

そもそもなんでこんなことをやろうと思ったかというと、それはFC琉球のクラブ立ち上げの頃まで遡る。

FC琉球をやっていた頃は、会社も個人もみんなお金がない。(笑)

応援グッズを作って販売したいけど、まず作るお金がなかった(笑)

そこで、Tシャツを作っている工場へと向かった。シャツにプリントする作業を眺めていて、「なんだか俺にもできそうな気がする!!」と思い、お願いして少しさせてもらうことにした。

なんとなくできるようになった僕は、残ったTシャツやミス発注のものを安く譲ってもらい、それにチーム名をプリントして販売することにした。

そうすると自分の人件費分安くなるからだ(笑)

それが最初のものづくりであった。

その後天皇杯県予選決勝で、スタンドを真っ赤に染めたい!とフェイスタオルを何百枚だか印刷させてもらったり、同じ流れで九州リーグの試合に出すピッチ看板の作成をさせてもらったりと、職人さんから技を習いながら実践して商品にしていくという日々が続いた。

そうこうしている間に、クラブは僕が作業しなくても商品を仕入れれるくらいまでに成長した。

しかし僕は、この職人さんたちの仕事ぶりがあまりにもかっこよく、なんか継続的にものづくりをしていきたいと漠然と考えていたのである。

そんなタイミングで、チームは成長し以前の県内職人さんの工場ではなく、安く大量生産できるところへグッズを依頼するようになった。

もちろんしょうがないことだったのだと思う。実際Jリーグに入ってしまったら、独自でグッズなんか作れず、リーグ全体で同じグッズを作り、それをリーグが管理するという流れになるので、地元の企業に仕事を投げれるなんてほとんどない。

でも「成長」という時の流れで、何もなかった頃を応援してもらってた人たちとの関係が希薄になったり、失われたりする「Jリーグへの道」を歩むことに気持ちがついていかなかった。

それで2005年1月FC琉球を辞めた。

と言っても、その後は業務委託で試合の運営やスクール・イベントなどをお手伝いしながら、仲間たちと応援団もやったりした。

そんな辞める決断をした時に、一番心配してくれたのが、FC琉球そしてサンビスカス沖縄、琉球代表と僕が関わるすべての事業のデザインをしてくれた崎浜さんである。

飲みに誘われて、

「これからどうするの?」

と聞かれた時に、

「今までのように皆さんと拘りを持って新しいものを作って楽しく生きたいです!」

と思いを語った。

その頃はもちろん特にアイディアもなく漠然とそんなことを考えていた。

その日はそれで帰ったのだが、数日後崎浜さんにまた飲みに誘われた。

ゴヤ十字路近くの今はなき「村さき」という居酒屋だった。

まずは乾杯をし、いつもの様にビールをぐぅーっと飲む。

そして崎浜さんから、「タスク!お前のデザイン決まったから!」

と突然言われた。

「はい???」

と僕が聞き返すと、

「この前話してた、みんなで色々楽しくやるためのブランドをデザインしてきた!」

と一枚の紙を渡された。

そこに

+9

PLUS NINE

(プラスナイン)と書かれていた。

正直僕はピンときてなかった(笑)

そしたら+(日本語でタス)9(日本語でク)タスクだから+9って言ったのである。

最初それを聞いた時は、ちょっと恥ずかしい気もした(笑)

だってみんなでやりたい!って言ってんのに、自分の名前からブランドを決めるなんて!!!

と思ったのである。

しかし、崎浜さんはじめ仲間たちがいいね〜!!!って心から賛同してくれたので、この名前で行くことにした。

でも、この名前の意味については、みんなの思いや生まれた場所コザや沖縄のことを盛り込むことにしたのである。

こうして「+9」は誕生したのである。

http://plusnine.theshop.jp/items/781906

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つづく

 

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